大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

広島地方裁判所 昭和47年(行ウ)29号 判決

原告 宗清弥生

被告 国

訴訟代理人 角田光永 塩見洋祐 藤井孝 ほか三名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事  実〈省略〉

理由

一  原告の夫宗清信雄(以下信雄という)が大蔵事務官として昭和四五年四月六日当時、広島南税務署資産税相談係長の職に在つたところ同日午後一時五五分ころ右税務署内において納税相談を受けている最中、頭蓋内出血(くも膜下出血)により倒れ、同日午後一一時三二分ころ死亡したこと及び信雄が平素から血圧が高かつたことは当事者間に争いがない。

二  右信雄の死が公務上の死亡といえるかどうかについて判断する。

(一)  国家公務員法第二条に規定する一般職に属する職員の遺族(原告が右遺族であることについては当事者間に争いがない)が、国家公務員災害補償法第九条五号による葬祭補償を請求し、また国家公務員等退職手当法第五条による退職手当金を請求するためには、右補償法第一八条及び右手当法第五条の規定により、「公務上死亡」したことが要件とされる。

そして公務上死亡というためには、公務と死亡との間に相当因果関係の存することを要するが特に公務員が心臓疾患や高血圧症等の基礎疾病を有する場合においては、死亡当時公務に従事中であつたというだけでは足りず公務に起因して質量的に急激な精神的肉体的負担が加わり公務員の右基礎疾病を刺激した結果、右疾病が自然的悪化に比し急速な増悪をもたらし死亡するに至らせたものであることが要件となる。(札幌地方裁判所昭和四五年二月一〇日判決、東京高等裁判所昭和四五年六月三〇日判決、東京地方裁判所昭和五〇年一月三一日判決、昭和五〇年四月三日判決等は同旨である)

(二)  そこでまず信雄の本件死亡当日までの健康状態、勤務状況私生活について検討する。

1  信雄の健康状態

〈証拠省略〉を総合すると、次の事実が認められる。信雄は昭和一五年四月応召したのち、中国大陸、シンガポール、ニユーギニア各地を転戦し、昭和二一年五月に復員したのちは昭和二四年三月一五日から大蔵事務官として呉税務署を振り出しに税務職員としての生活に入つたが、たまに風邪をひいて一日欠勤する程度のことはあつたが特に体が弱いということはなく生前身長一七四センチメートル、体重七九キログラムの立派な体格であつた。

しかし同人は昭和三七年の健康診断のころから血圧が高くなり、健康記録カードに高血圧症という病名の記載がなされこの状態は死亡当時まで継続していた。その間昭和四一年五月の健康診断では、血圧の最高値が一五〇ミリ水銀柱〈以下単位省略〉、最低が九六で指導区分はPD-2にランクされ、同年一〇月には最高血圧一六〇、最低一一〇で指導区分はPD-1となつた。国税庁職員健康管理規定によれば、Pは高血圧症の符号であり、D-1とは健康診断の結果医師が判定する指導区分であり、医療上の措置としては喫煙を禁じ、節酒させ一カ月に一回の血圧測定を受けさせることとなつている。そして、昭和四三年一一月の精密検査でも高血圧症と診断され、治療を要する旨の医師の意見が出されており、昭和四四年八月には階段を昇るとき動悸を感ずるようになり、同年一一月の精密検査においても、心電図所見として冠硬化症があり、要治療であつた。信雄も、昭和四三年一月ころから降圧剤(セルバシル・アプレゾリン)や末梢循環障害治療剤(ヘクサニシツト、ニコチネート)を服用したこともあつたが、服用は散発的であり継続的に治療に努めていたわけではなく、日常生活においては、過度に塩分を摂取しないよう努めまた規則正しい生活を送るよう努めており、家族に対して体の不調を訴えることもなかつた。

2  信雄の本件死亡当日までの勤務状況。

〈証拠省略〉を総合すると次の事実が認められる。

(1) 信雄は、昭和四四年七月以降資産税相談係長として昭和四五年二月一二日から三月一六日までの確定申告の期間中に、二二三件(一日平均一〇件強)の相談を受けており、右相談件数は、署全体の相談件数の一六・八%である。

また、確定申告後の相談件数は死亡当日の分を含めて九件である。

(2) 信雄の時間外勤務は、超過勤務等命令簿によれば同年二月が三回(合計九時間)、同年三月が五回(合計一五時間)であり、確定申告の期間中は、ほとんど毎日のように三〇分ないし一時間程度の残業をしていたようであるが、仕事を家に持ち帰る程のことはなかつた。また、出張は二月に三回、三月に一回あるが、いずれも管轄区域内(佐伯郡大柿町)であり、特に本人に負担となるものではなかつた。

その間信雄が特に解決に苦心していた問題としては、島崎初一に関する確定申告の更正であつて、同年一月下旬に来署した島崎の長男洋と口論に及んだことがあつたため応待に気をつかつていたようであつたが、同年三月三日に更正決定をして右問題に関する心労は解消した。

(3) 信雄の担当である資産税に関して昭和四四年に法改正があり同年度は新法旧法選択適用が認められていたためその申告期である昭和四五年三月は例年より多忙ではあつたが、右改正に関しては概に前年から研修もうけており、また抜本的な改正というわけでもないから、ベテランの税務職員である信雄にとり特に負担となるほどではなかつた。

(4) なお信雄は性格的には穏和でありまた必ずしも税務理論に詳しいわけでもなかつたが、複雑な相談事案は上司や同僚に相談しつつ相談係長の職をこなしており、右職務が特に不適格というわけではなかつた。

以上の事実が認められ右認定事実に徴すると、昭和四五年に入つてから四月六日までの信雄の勤務状況が特に過酷であつたとは認め難い。また、四月六日は確定申告が終つてから二〇日余り経過した時点であるから、確定申告期の疲労が残つていたとしても、さほど大きな蓄積となつていたものとは認め難い。

3  信雄の私生活

〈証拠省略〉を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 信雄は長女の結婚式やその準備のため昭和四五年一月一六・一七日、三月二三日、三月二八日・二九日(結婚式)と三回自動車で賀茂郡黒瀬町の自宅から大阪まで往復している。そのうち、一月と三月二三日は往復とも信雄が運転し片道七時間程度を運転した(なお三月二三日は日帰りであつた)。

(2) さらに信雄は長女の結婚式から一週間も経過しない四月三日四日の両日確定申告期が終つた慰労のため、資産税関係の職員六人と一緒に鳥取県の大山まで自動車を運転して一泊旅行に出かけている。信雄は往路は広島県と島根県の境界の赤名峠まで約一〇〇キロメートルを運転し、復路は赤名峠から自宅まで運転した。大山からの帰路、気分が悪くなり、同行していた同僚の一人から降圧剤を貰つて服用している。

(3) 信雄は、昭和四五年には一月一六日と一七日に半日づつ、三月二三日に一日、三月二八日に半日、三月三〇日に一日、四月三日、四日と一日半年次休暇をとつているが、いずれも娘の結婚式並びにその準備のためや職員の慰安のためのドライブ旅行のためであつた。

以上の事実が認められ右認定事実によれば、信雄は確定申告期という最も多忙な時期が終つてから息つくひまなく、娘の結婚式の準備のため大阪まで自動車を運転をなし五日後には結婚式のため自動車に同乗して大阪に行つており、さらに結婚式の一週間後には大山まで自動車で一泊旅行に出かけるなど確定申告期が終つてから死亡前々日までの間は私生活上精神的肉体的負担を伴う出来事及び必ずしも休養とならない職場旅行等による日程がつまつていたものといえる。

(三)  信雄の死亡当日の勤務の状況。

1  〈証拠省略〉を総合すると次の事実が認められる。

(1) 信雄は、毎日賀茂郡黒瀬町の自宅から自家用車で通勤していたが(所要時間・約一時間)、死亡当日も自動車で午前八時四〇分ころ南税務署に出勤した。

信雄は登庁後譲渡所得確認調査のため出署依頼状二〇通を書くなどした後、午前一一時から三〇分間納税相談に応じたが、格別トラブルもなく終了した(なお、当日は税の相談日となつていた)。

昼休みは昼食後同僚と囲碁に興ずるなどし、午後一時から納税相談一件を受けたが五分ほどで終了した。

(2) 午後一時三〇分ころ食堂経営者平岡某が不動産仲介業者建築業者らと三名相談に訪れ、信雄が担当することとなつた。平岡某はこれまで他の税務署職員と口論したことのある人物であつた。

相談の内容は、右三名が共同出資して土地を取得し、地上に建物を建築して売却し、売却利益を三人で分配した場合に、所得の種類は何に該当するか、譲渡所得でなくて事業所得なり、雑所得にならないかというもので相談内容としては幾分複雑なものであつた。

相談者らの語調は特別に大声を出すということはなかつたが、税率の低い事業所得あるいは雑所得にならないかと信雄に問いただす語調であつた。近くで執務していた梶尾資産税上席調査官は、信雄が相談の返答に困るようであれば替ろうと考えたが、相談者らの態度を制止する必要性を感ずる程ではなかつた。信雄は右相談を受けていた際大声を出したりしたことはなく、特に興奮した様子はなかつた。相談を開始してから一五分ないし二〇分経過したころ信雄は突然額に手をあて自席に戻り、隣席の菅川事務官に「替つてくれ」と言つたまま返事をせず、直ちに抱えられて宿直室に運び込まれたのち意識が回復せぬまま死亡した。

以上の事実が認められる。

2  右認定事実によれば、信雄の死亡当日の勤務状況は、午前・昼休み、午後における最初の相談に至る経過は平常日におけると変化がないことが認められるから、結局信雄が倒れた当時の執務、右相談が平常と異る特別異常のものと認められるか否かという点が問題となる。

ところで、平岡某は、これまで他の税務署員と口論したことがあること、相談に来た人数が複数の三人であること、相談を求める態度が税務署員から有利な言質をとろうとするものであることなど必ずしも穏和な相談でなかつたことが認められるけれども信雄は、勤続二一年間一貫して税務畑を歩いてきたベテラン職員であるから右程度の質問内容や態度で激しく興奮したとは認め難いところであつて現に〈証拠省略〉によれば信雄が倒れたのち右相談を引き継いだ梶尾上席調査官は平岡らの相談態度が信雄に対するそれと自己に対するそれとが大きく変化したという印象は持たなかつたこと、そして平岡らから詰問を受けたとは思つていなかつたことが認められこれからすれば平岡らの信雄に対する相談態度が信雄をして大きく困惑興奮させ、精神的負担を著しく増大させるほどのものとは認められず、従つて本件平岡らの相談が信雄の高血圧症を急速に増悪させてくも膜下出血を発症させるものとして作用したとは解し難い。

(四)  なお青山鑑定は右発症を促進した因子として(1)信雄の性格、(2)相談相手、(3)相談内容、(4)税法改正のあとであること、(5)職務上の地位(相談係長に就任して一年足らず)等からして信雄の精神的ストレスは大きく、さらに(6)税務相談業務の一般的性格、(7)人事管理の不適切、(8)健康管理の不適切等をも加えて、信雄の死亡についての公務との因果関係を肯定しているのであるが、右(1)ないし(5)については既に検討したとおりであり、また(7)、(8)の人事管理および健康管理に手落ちがあつたのではないかとの指摘については税務当局としては、精密検査を行い心電図等もとつており信雄の前掲D区分が税務当局に対し特別な配慮を義務づけるものでなく、信雄本人に健康に対する配慮と自己責任を期待すれば足るものであつて信雄の死亡に関し当局の職務における健康管理に手落ちがあつたものとは認め難い。

また(6)の点についていえば証人津田春二の証言によれば税務職員は職務の性質上緻密な作業が要求されそのため精神的ストレスが蓄積しやすい職場ではあることは理解できるけれども、これは事務職一般についてもいえることであり税務職員のみについて特に強調することは、他との均衡を失し相当でない。

(五)  以上の検討によれば、信雄は高血圧症ではあつたものの相応の治療と養生の結果格別勤務に支障を来したこともなく、死亡前の期間の職務も格別多忙であつたというわけでもなくまた死亡当日の相談業務についても精神的負担を著しく増大させる程ではなかつたこと、これに対し死亡前の期間に遠距離ドライブを重ねる等してこれによる精神的肉体的疲労が相当程度蓄積されていた可能性もあることが指摘できるのであつて、同人が死亡当日前および当日の勤務により過度の精神的肉体的負担が生じ、これが主たる原因として高血圧症を悪化させくも膜下出血を惹起させたと認めることは困難であるといわざるをえない。

三  従つて信雄の死亡が直接公務に起因するものとは認め難いので本訴請求についてはその余の点について判断するまでもなく理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 田辺博介 平湯真人 海老根遼太郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例